あの道へ・・あの時へ・・もう一度バイクに乗って・・。
左半身が不自由になり、心臓に欠陥を抱え、安静に過ごす毎日から抜け出してもう一度バイクに乗りたいと考えるようになったオッサンのつぶやき。
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挽 歌
小学生で知り合った頃から、彼には両親がいなかった。
祖父母に育てられた彼は、甘えん坊で気の良いヤツだった。
バイクに乗るようになってからは、いつも誘いに来た。
おかげで私の休日は、そのほとんどが彼とのツーリングに費やされることになった。

彼は常に私の前を走った。彼のバイクはホンダCB250。
その気になればアクセルを一ひねりするだけでブッち切ることも出来るのだが、
ムキにさせるか落ち込ませることになるだけなので、黙って後ろを走った。

せっかくのワインディングも自分のペースで走れず、多少不満ではあったが、
それよりも彼の危なっかしい走りは私を憂鬱にさせた。

或る日彼の祖母から電話が来た。
「バイクで室蘭の親戚の家まで行くと言うので、一緒に行ってやって欲しい。」と。
私の実家も次の漁まで間があるので、断る理由も無いが・・。

彼の祖父は漁師だが、続けるにはもう体力的に限界が来ている。
そこで、陸で勤めていた彼が家業を継ぐ決心をしたらしいのだ。
「慣れない仕事で当面はバイクに乗る余裕が無いだろうし、慣れて来た頃には
車の免許を取るだろうから、最後のロング・ツーリングだ!」ということらしい。

私が引き受けたということで、彼は早速やって来た。
「室蘭か・・、函館までもうちょっとだな。」
「ついでに行っちゃおうよ。オレ、函館行ったことないし。」
「そうだな・・。」

条件として、必ず私の後ろを走ることを祖父母の前で約束させたのだが、
いざ走り出すと、その約束は無かったことになってしまった・・。

太平洋に面した黄金道路は今よりもトンネルが少なく、ブラインド・コーナーが多かった。
コーナー手前の充分な減速を、休憩のたびに言い聞かせたが、調子の良い返事が
返って来るだけだった。


あまりのハイペースに堪りかねた私は、追いついて減速させようとアクセルを捻った。
その時、大きな岩の陰から突然大型トレーラーが現れた。
急ブレーキをかけた私のバイクはトレーラーの数メートル手前で停止したが、
前を走っていた彼の姿は無い・・。

慌てて降りて来た運転手の青ざめた顔と、血に染まったトレーラーのフロントが、
今起きた出来事を物語っていた。

彼の愛車はトレーラーの車体下深くまで入り込み、ジャックナイフ現象でくの時に曲がった
荷台の向こう側まで突き抜けていた。
そして・・・少し凹んだトレーラーの・・フロントグリルの下に血だらけの物体が・・

思わず目をそむけた。なす術など無く、ただ立ち尽くすだけだ・・・。
それから後はぼんやりしか覚えていない。記憶が鮮明になるのはどれぐらい経った頃か、
知らせを聞いて駆けつけた私の兄達と、実家の船の乗組員達が、私のバイクをトラックに
積み込んでいるシーンからだ。


眠れない日が続いた。 私を最も苦しめたのは、割り箸で肉片を拾い集める警官の姿だ。
その場面ばかりが頭に浮かんで来る。36年を過ぎた今でも消えはしない。
空腹を覚えたのは、葬儀が終わって数日後だった。


計り知れない悲しみと喪失感の中にあったであろう彼の祖父母が、私の受けたショックを
気遣い、何度も様子を見に来たり言葉をかけてくれたことが、私にとっては逆に辛かった。

漁が始まっても、船に乗る気にはならなかった。父や兄達も何も言わなかった。
あても無く、逃げるように町を出た私は、中学の時の後輩と同じバスに乗り合わせた。
釧路で会社勤めをしている彼の下宿に転がり込んだ私は、毎日酒に溺れていた。

1日1回外食をしていたが、半月ほど経ったある日、下宿のおばさんが私の分の食事を
出してくれるようになった。「後輩に迷惑を掛けている・・。」
何処へ行くというわけでもないが、とりあえず釧路を去る決心をした。


「とにかく一旦函館へ行こう。そこから先は海を渡るか、留まるか・・。」
バイク仲間達のいる、懐かしいあの街へ・・。 後輩とも涙の別れになったが、
映画やドラマのように、希望に燃えた旅立ちではない。

「失意の旅立ちか・・。カッコ悪いがしゃぁねぇや。」西へ向かう列車に揺られ、呟く。
世の中の不幸を一人で背負い込んだ気分になっている若者には、車中の人々がみな幸福そうに
見えたことだろう。今となっては人事のようにも思えるが・・。


落日が太平洋を夕焼け色に染めて行く。時折差し込む光に、眩しそうに顔をそむける客。
その人が窓際に置いたトランジスタ・ラジオからは、挽歌が流れていた・・。




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この記事に対するコメント

辛いだけでは語れない出来事があったのですね・・
目の前で起きた現実を受け止められなかったとお察しします。

大学1年のとき、小学校6年間同じクラスだった友人が
久しぶりにバイト先に訪ねてきました。
彼は中学からは引越しをしてしまったので、7年ぶりでした。

その年、お母さんを病気で亡くしたと聞きました。
彼も寂しかったのでしょう。
その日は酒を飲み、私の家に(無理やり?)泊めて、
懐かしい話をたくさんしたものです。

年が明けて、2日の日。
そのとき酒を飲んだ友人から電話がありました。
「○○のことなんだけど・・・」

私は当然新年会をやるんだと能天気でいました。

「あいつ、去年の年末、屋根から落ちて、死んじゃったんだよ・・」

まだ21でした。

仲間と彼の葬儀に行く途中でも、
私たちはそれがまだ冗談なんだと思いたくて、
笑って歩きました。

おそらくそうでもしなきゃ、いられなかったんだと思います。

人が大勢いる彼の家に着きました。
遺影が笑っています。

気丈にも妹さんが笑顔で迎えてくれました。

棺に横たわる彼を見て、
それが現実だったんだとようやく思い知らされました。

屋根から落ちたと聞いていましたが、
額に切り傷が見えるだけ。

彼は雨漏りのする屋根に上り、
その修理をしていたそうです。
年末だから業者の手配が付かなかったのでしょうか。

まるで最後のお別れを言いに来たような再会となってしまいました。

私は、知らせを聞いてその現実を知りましたが、
goodjoneさんは、それを目の当たりにされたのですから、
その心の傷は私には想像できないほど大きかったと思います。

途中でバイクとともに昇華してしまった彼も、
goodjoneさんのバイクのまたがる後姿を
今度は見たいのではないかと思っています・・・・

長いコメントで失礼しました・・
【2007/05/25 17:34】 URL | 玉三郎 #Vas2b2vM [ 編集]


玉三郎さん、ありがとうございます。

人の死に接するのは、誰でも辛いものですね。
家が漁師で、海辺で育った私は、多くの人の死に接していましたが、
あの事故の時はさすがに立ち直る時間を要しました。

このことを語る気持ちになったのは、自分が死の危機に接し、人生観が変わった
せいだと思います。自分が死んでも家族や友人は忘れないでいてくれるだろうか・・?

そう、人は記憶の中で行き続ける・・。実感しました。

事故のことは思い出したくないが、彼の笑顔は忘れないでいたい。
後年、再びバイクに跨ることになるのですが、その話はまた・・。

玉三郎さん、忘れないでいましょうよ。
想い出の中で彼らと酒を酌み交わしましょう。
そうすれば、いつまでも共に生きられます。

そしてお互い、必ずお会いしましょう!
話したいことが、山ほどあるのです。





【2007/05/25 18:30】 URL | goodjone #- [ 編集]


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