あの道へ・・あの時へ・・もう一度バイクに乗って・・。
左半身が不自由になり、心臓に欠陥を抱え、安静に過ごす毎日から抜け出してもう一度バイクに乗りたいと考えるようになったオッサンのつぶやき。
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再びバイクに・・・。

体調と相談しながらなので、ブログの更新もままならない。
特に新しいことが無いので、回想録の続きを・・。


「ひと夏の経験」を終えた私は、ある商社に勤めることになった。
成績を上げることも、以前のバイク仲間達の応援を得て、順調だった。

数年後、その会社が釧路に支社を置くことになり、派遣された。
支社開設の準備に追われ、忙しい毎日を送っていたが、
ある日、函館の友人から連絡が入った。

外国航路の貨物船に乗ることになった彼は、手に入れて間もないバイクを
私に譲りたいと言うのだ。

訳があってバイクに乗らなくなった私だが、早逝した友人の祖父母から
「孫のことでバイクに乗らなくなったと聞き、申し訳なく思っていた。」
と言われ、すでにわだかまりは消えていたのだが、機会が無かったのだ。

友人の船は釧路に寄港して荷を積み、東南アジアへ向かうルートだ。
バイク仲間としての彼は、いつも優しい笑みをたたえた物静かな男だった。
夜学に通って猛勉強をし、本州の商船大学に入った話を聞いていた。

港で彼の船を迎える。 何と、バイクを積んで来ているではないか!
クレーンに吊られ、降ろされたそのバイクは、
ホンダCB750Fだった。

cb_f


「F」と呼ばれるこのナナハンは、初期型の「FZ」から「FA」「FB」「FC」と続く
ロングセラーとなり、一時代を築くことになる。

久しぶりにバイクに跨った私は、急速に舗装化が進む北海道の道を走りまくった。
一旦バイクに復帰すると、それが元で素晴らしい縁に恵まれるから不思議なものだ。

ツーリング先で知り合った初老のライダーからオフロード・バイクを譲り受けた。
ご子息が大事にしていたというそのバイクは、ヤマハトレールDT125。

dt125


図らずも2台のバイクを所有することになった私は、時間を見つけてはワインディングへ、
林道へと、バイク漬けの毎日を送った。

DTを譲っていただいた方は帯広に住み、お宅では「ピーマン」を栽培していた。
この時まで食わず嫌いだった「ピーマン」だが、おかげで食べられるようになった。


この方とはご子息共々、今でもお付き合いさせていただいている。





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テーマ:バイク - ジャンル:車・バイク

バイクに乗る以前の問題か・・・。
心臓に負担をかけずに体力をつけるには・・?

とにかく運動がダメと言うのだから難しい。
散歩もせいぜい10分程度までと念を押されている。

しかし、実際には30分ぐらい歩いている。
だって、黙っていれば体力が無くなってしまうから。

30分歩いた後は、体がズッシリと重くなるが、
その度合いは少なくなって来ている。

バイクショップに立ち寄り、いろんなバイクに跨ってみる。
左半身に力が入らないので、400ccクラスでも立ちゴケしそうだ。

以前「ナナハン」に乗っていたことが、自分でも信じられないぐらいだ。


250cc のオフ車に跨ってみると、このぐらいなら何とかなりそうだ。
シート高810ミリの「スーパーシェルパ」で、足つき性が良い。
「セロー250」のシート高も同じぐらいだ。

しかし、あまり楽なのはリハビリ効果が期待出来ないような気もする。
必然的に体を動かさなければならない状態の方が、眠っている神経を
呼び覚ます効果が期待出来そうな気がするのだ・・。

跨った状態で車体を斜めにしても、オフ車なら踏ん張れる。
最初に乗るのは250cc クラスのオフ車に決めよう。
問題は車種の選定だ。


その前に、もう少し体力を養っておかなければならないのだが・・・。







テーマ:バイク - ジャンル:車・バイク

もう体力が残ってないのか・・?
日曜日、北の大地にも暖かな日差しが降り注いだ。
陽気に誘われ、森林浴でも・・・と、
つい調子に乗って山を歩いたのがいけなかった・・。

翌日の朝、随分と体が重いと感じていたが、
夕方になって突然目眩に襲われ、病院へ運ばれた。

いろいろと検査をした結果、一時的に血圧が下がったのが
原因ではないか、ということだった。

山を歩いたことは言わなかったが、
出掛けて多少動いたことは説明した。

妻共々、大変なお叱りを受けた・・・。
元々10日ほど後が診察日となっていたのだが、
それまで絶対安静を言い渡されてしまった。

診察日にも詳しく検査するそうだが、結果によっては再入院とか・・。
そうなっては堪らないので、しばらく大人しくしていよう。


バイクに乗れる日はいつのことか・・・。





スーパーカーブーム
夜の仕事にはあまり馴染めなかった。
指名客が増えるにしたがって、だんだん嫌気がさして来た。
客商売が合わなかったのか、それとも私に出来る「夜の仕事」は、
せいぜい「イカ釣り漁」が似合いだったのか・・。

半年ほどでクラブを辞めた後、日を置かずにアルバイトの話が来た。
他言無用との条件に、「ヤバい仕事か?」なんて考えもしたが、
それは「スーパーカーの陸送」という、聞いたことの無いものだった。

70年代中頃に始まったスーパーカー・ブームは少年達を夢中にさせ、
日本中に広まっていたが、そのブームが北海道にも上陸したのだ。

苫小牧に陸揚げされた展示車を、夜中に各地の会場へと陸送する。
3人乗り込んで交代で運転するのだが、2シーターの車も多かった。
日中では人目について騒ぎになるので、夜中に走るのだ。

先導者の後について並んで走るのだが、中には公道走行に適さず、
エンジンが「カブって」しまう車があったので、メンバーの多くが草レースや
ジムカーナに出場している、いわゆる「車に慣れた」連中だった。

ランボルギーニ・カウンタックのように「これって、エンジンを運ぶための車?」みたいな
過激なものもあったが、実際に運転する者達に人気があったのは、
コーナリングの良いランボルギーニ・ミウラだった。

miura
(写真はネットでお借りしました。)


美しいデザインでジェントルな雰囲気の車だが、それでも350ps ぐらいの出力があった。
当時とすればやはり「バケモノ」だ。とてもアクセル全開とは行かない。

そういう意味でより現実的だったのがロータス・ヨーロッパだ。

rotus
(写真はネットでお借りしました。)

1600cc ツインカムで、日本のスポーティカー並みの出力だが、
その自在なコーナリングはまさにファン・トゥ・ドライブの世界だ。

・・・と、思う。 あくまでも当時の記憶に基づいての話なので・・。


加速の凄さで印象的だったのがポルシェ930ターボだ。

930
(写真はネットでお借りしました。)

私が所有していた「ナナハン」のゼロヨンが12.4秒だったが、同じぐらいのタイムだった。
あの頃はそんなタイムをたたき出す市販車なんて無かったから、驚いたものだ。

・・・と、記憶しているのだが・・。


実入りが良かったこともあって、このバイトは私がある商社に就職するまでの間、数ヶ月続いた。
翌年からはブームが下火になったので、当時の流行歌のごとく「ひと夏の経験」だった。











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