あの道へ・・あの時へ・・もう一度バイクに乗って・・。
左半身が不自由になり、心臓に欠陥を抱え、安静に過ごす毎日から抜け出してもう一度バイクに乗りたいと考えるようになったオッサンのつぶやき。
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再 会
外に出ると、いきなり数人の男達に囲まれた。
思わず身構える私に男が発した言葉は・・・

「お待ちしておりました。こちらへどうぞ。」
「・・・?」

戸惑う私に、男達の態度は丁重だった。
私と男達を乗せた外車(多分アメ車だったと思う。)は、
夜の闇に向かって滑るように動き出した。

あれこれと考える暇も無く、車は数分であるビルの前に停止した。
案内されるまま長い廊下を歩きながら、これから自分の身に起こるであろう
状況を想像してみたが、皆目見当もつかない。とにかく平静を装うことに専念した。


ドアが開き、男が出て来て中へと促される。
一歩踏み込むと、中の状況を確認する前に大きな声が飛んで来た。

「おお!よく来てくれたなぁ!」

私を待っていたのは、高校1年の時、私を弟のように可愛がってくれた先輩だった。
意外な再会に面食らった・・。

「お前が函館にいるのは知ってたが、忙しくてなぁ。会いたかったよ。」
「何やってんだよ。ほら座れ座れ、喉渇いてないか?」

ああ、あの頃のままの先輩だ・・と思った瞬間急に体中の力が抜け、
椅子に座りながら傍にいた大男に「おい、コーヒーをくれ。」と言った。
「わかりました。」男は深々と頭を下げ、若い者に指示をした。

形勢逆転である。 私は椅子にふんぞり返った。
と言っても、自分で勝手に一世一代の危機と思い込んでいただけなのだが、
反動と言うものは恐ろしいものである。

高校を卒業した後の生活を一通り披露し合ったところで、

「実はお前に頼みがあるんだ・・。」

先輩は、当時の私の生活ぶりをよく知っているようだった。
頼みというのは、ある程度の期間、自分の愛車を私に管理して欲しいということだった。
売春防止法違反の罪で、収監される可能性が高いのだと言う。
先輩自身が手を染めた犯罪ではないようだが、組織の中でそういう立場なのだろう。

軽い気持ちで引き受けた私だったが、後日車を引き取りに行って驚いた。
先輩の住むマンションの地下駐車場に眠っていた車は・・・

2000GT
(写真はネットで拾ったもの)

シルバーに輝くトヨタ2000GTだった。

「管理と言っても、足代わりに使ってて欲しいんだ。」

と言っていたが、これじゃぁ足代わりになんか使えないじゃないか!



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降りかかる災難・・・?
何だか自分の半生記みたいになってしまったが、
若い頃のことを思い出す良い機会だ。
ブログだし、そんなのもありかな・・。

・・・ってことで、もう少し続けてみる。



再び函館に舞い戻った私は、早速以前のバイク仲間達に連絡を取った。
内地に就職した者もいたが、函館にいる仲間にはほとんど会えた。

皆社会人然としていて大人っぽく見え、自分だけが変わっていない
ように思えたが、それはお互い様だったようだ。
彼らは一様に私のことを「逞しくなったなぁ。」と言った。

年齢からいえば当然だが、彼らの日常の足はバイクから車へと変わっていた。
おかげでバイクを降りた理由を語る必要も無く、付き合う上で不都合も無かった。
とは言え、私だけが遊んでいる身分なので、何となく後ろめたい気持ちもあった。

とりあえず車の免許を取得し、就職先を探すことになった。
当時、自動車学校で普通免許を取得する費用は3~4万円ぐらいだったと思うが、
俗に言う一発試験もあった。
合格率は1割にも満たないが、私のように自動二輪免許を持っていた場合は法規が免除され、
構造と実地試験だけでOKだった。
私が試験を受けた日は、52人中合格者が2人。その内の1人が私だった。


就職先は、ナイトクラブに勤めている仲間から誘われた。

「夜の仕事に抵抗は感じない?」
「そんなの無いよ。イカ釣りをやってたんだぜ。」
「・・・?」
「イカ釣り漁って、夜中の仕事だから・・。」
「あ・・そういう意味ね。」
「何だよ、そういう意味って、どういう意味で聞いたんだよ。」
「いや、別に良いんだけど・・。」

話が噛み合わないのはご愛嬌だが、本気で私の心配をしてくれているのは伝わって来た。


函館を基地に、北洋へ向けて蟹やサケマスの船団が数多く出航し、何ヶ月も帰って来ない。
残された船員の妻達や未亡人向けの高級クラブがあった。
まぁ、今で言うホストクラブのようなものだが、一応やってみることにした。

ルックスに自信は無かったが、若さのせいか、指名してくれる客も増えて行った。
私にしてみればかなり年上に感じていたが、今にして思えば30代の女性客が多かった。
そんな女性達に服装や生活の面倒を見てもらったり、近郊の観光地に連れて行ってもらったりと、
可愛がられた。函館の女性はさっぱりとした性格でいながらとても優しく、良い人ばかりだった。

昼はモーターショップのレーシングチームに所属し、白老に完成したサーキットを中心に
ジムカーナや草レースに出場するといった、昼夜共に忙しい生活が続いた。
少しづつだが、私の心も明日・明後日先ぐらいのことまでは考えるようになっていた。


そんな中、夜の函館の裏社会を牛耳る暴力団の幹部、という男から呼び出しを受けた。
「ひいき」にしてくれている女性客の中にヒモ付きがいたのか? 心当たりは無いが、
こういう店ではよく聞く話だ。「まったく・・ツキの無いヤツだな俺は・・。」
店の同僚達は私を隠して、逃がすよう画策してくれたのだが、外には舎弟とおぼしき男達が
私が出て行くのを待っている。

どうせこれといった目標のある人生でも無い。半ばヤケクソ状態で暮らしているのだ。
高校時代、ボクシングジムに通っていたし、少林寺拳法もちょっとはカジった。
(まさにほんのちょっと。豆腐の角をカジった程度だが・・。)
いざという時は死に物狂いで抵抗してやる・・。


意を決して外に出た。



挽 歌
小学生で知り合った頃から、彼には両親がいなかった。
祖父母に育てられた彼は、甘えん坊で気の良いヤツだった。
バイクに乗るようになってからは、いつも誘いに来た。
おかげで私の休日は、そのほとんどが彼とのツーリングに費やされることになった。

彼は常に私の前を走った。彼のバイクはホンダCB250。
その気になればアクセルを一ひねりするだけでブッち切ることも出来るのだが、
ムキにさせるか落ち込ませることになるだけなので、黙って後ろを走った。

せっかくのワインディングも自分のペースで走れず、多少不満ではあったが、
それよりも彼の危なっかしい走りは私を憂鬱にさせた。

或る日彼の祖母から電話が来た。
「バイクで室蘭の親戚の家まで行くと言うので、一緒に行ってやって欲しい。」と。
私の実家も次の漁まで間があるので、断る理由も無いが・・。

彼の祖父は漁師だが、続けるにはもう体力的に限界が来ている。
そこで、陸で勤めていた彼が家業を継ぐ決心をしたらしいのだ。
「慣れない仕事で当面はバイクに乗る余裕が無いだろうし、慣れて来た頃には
車の免許を取るだろうから、最後のロング・ツーリングだ!」ということらしい。

私が引き受けたということで、彼は早速やって来た。
「室蘭か・・、函館までもうちょっとだな。」
「ついでに行っちゃおうよ。オレ、函館行ったことないし。」
「そうだな・・。」

条件として、必ず私の後ろを走ることを祖父母の前で約束させたのだが、
いざ走り出すと、その約束は無かったことになってしまった・・。

太平洋に面した黄金道路は今よりもトンネルが少なく、ブラインド・コーナーが多かった。
コーナー手前の充分な減速を、休憩のたびに言い聞かせたが、調子の良い返事が
返って来るだけだった。


あまりのハイペースに堪りかねた私は、追いついて減速させようとアクセルを捻った。
その時、大きな岩の陰から突然大型トレーラーが現れた。
急ブレーキをかけた私のバイクはトレーラーの数メートル手前で停止したが、
前を走っていた彼の姿は無い・・。

慌てて降りて来た運転手の青ざめた顔と、血に染まったトレーラーのフロントが、
今起きた出来事を物語っていた。

彼の愛車はトレーラーの車体下深くまで入り込み、ジャックナイフ現象でくの時に曲がった
荷台の向こう側まで突き抜けていた。
そして・・・少し凹んだトレーラーの・・フロントグリルの下に血だらけの物体が・・

思わず目をそむけた。なす術など無く、ただ立ち尽くすだけだ・・・。
それから後はぼんやりしか覚えていない。記憶が鮮明になるのはどれぐらい経った頃か、
知らせを聞いて駆けつけた私の兄達と、実家の船の乗組員達が、私のバイクをトラックに
積み込んでいるシーンからだ。


眠れない日が続いた。 私を最も苦しめたのは、割り箸で肉片を拾い集める警官の姿だ。
その場面ばかりが頭に浮かんで来る。36年を過ぎた今でも消えはしない。
空腹を覚えたのは、葬儀が終わって数日後だった。


計り知れない悲しみと喪失感の中にあったであろう彼の祖父母が、私の受けたショックを
気遣い、何度も様子を見に来たり言葉をかけてくれたことが、私にとっては逆に辛かった。

漁が始まっても、船に乗る気にはならなかった。父や兄達も何も言わなかった。
あても無く、逃げるように町を出た私は、中学の時の後輩と同じバスに乗り合わせた。
釧路で会社勤めをしている彼の下宿に転がり込んだ私は、毎日酒に溺れていた。

1日1回外食をしていたが、半月ほど経ったある日、下宿のおばさんが私の分の食事を
出してくれるようになった。「後輩に迷惑を掛けている・・。」
何処へ行くというわけでもないが、とりあえず釧路を去る決心をした。


「とにかく一旦函館へ行こう。そこから先は海を渡るか、留まるか・・。」
バイク仲間達のいる、懐かしいあの街へ・・。 後輩とも涙の別れになったが、
映画やドラマのように、希望に燃えた旅立ちではない。

「失意の旅立ちか・・。カッコ悪いがしゃぁねぇや。」西へ向かう列車に揺られ、呟く。
世の中の不幸を一人で背負い込んだ気分になっている若者には、車中の人々がみな幸福そうに
見えたことだろう。今となっては人事のようにも思えるが・・。


落日が太平洋を夕焼け色に染めて行く。時折差し込む光に、眩しそうに顔をそむける客。
その人が窓際に置いたトランジスタ・ラジオからは、挽歌が流れていた・・。





多感で傷つきやすかったあの頃・・・
実家の兄が胃の手術をすることになり、復帰までの間、人手不足を補うために私も手伝いに
帰ることになった。実家は漁業を営んでおり、その時期は日本海で「夏イカ漁」の最中だ。

直接船に乗り込むため、ボストンバッグを手に一人函館駅へと向かう。
親類との別れは済ませて来た。駅での別れは苦手だから・・。

駅の駐車場にはいつもよりバイクが多い。 バイクともしばらくお別れだな・・。
札幌行きの列車が入るホームに出ると、十数人の集団がいた。
バイク仲間たちが見送りに来てくれたのだ。

夜学生は遅刻するつもりで、勤めている者は早めに仕事を終えて・・。
駐車場のバイクは彼らのものだった。こんな私のために・・。
みんなで泣いた。若い頃は涙の量も多かったのだろうか?

暗い車窓に一人一人の顔が浮かぶ。その顔が涙で歪む・・。
夜汽車に揺られ・・泣いた・・。


オホーツク海から始まった「夏イカ漁」は、日本海から津軽海峡へと移動し、
太平洋を東へと向かう。道東沖で操業する頃はもうすっかり秋になっていた。

千島海流に乗ってやって来るイカの群れを追う船団は、全国から集まる。
陸から見える集魚灯の多さ・明るさから「海の銀座」と呼ばれた北緯45度の海。
またいつか、あんな時代が訪れるのだろうか・・。


翌年の春、RT-1が送られて来た。キックスタート時の「ケッチン」で
怪我をする人が多く、メーカーの対策として「デコンプ(圧縮抜き)」が付いていた。

再び風を切って走る喜びを味わいながらも、心の中であの「ナナハン」の存在が
次第に大きくなって行き、ついに購入に踏み切った。

予想以上のバックオーダーを抱えたホンダが、生産性を向上させるために改良を加えた、
後に「K1」と呼ばれるようになるタイプだ。

CB750k1


キュル・ヴオン! インライン4の咆哮は火を入れるたびに胸を揺さぶる。
フルスロットル時の雄叫び、エンジンブレーキをかけた瞬間の篭り音・・。
「ナナハン」の音を楽しむには、決してハイスピードである必要はない。
タイトなコーナーが連続するワインディングロードを駆け抜ける喜びは、
どんな嫌なことも吹っ飛ばしてくれた。

しかしそれは、郊外を走る時の話・・。 町の中では一人になれなかったのだ。
田舎の人たちは実用車しか見たことが無く、どこに停めても人々に囲まれた。

4本マフラーの巨大なバイクは、始めてみる田舎の人にとって衝撃を与えたらしい。
「ナナハン」が珍しくなくなるには、知床が観光ブームを迎え、数多くのライダーたちが
やって来る時代を待たねばならなかった。

CB750と共に過ごした日々は、私の青春時代を飾る1ページに違いない。
バイクが最も人間に近かった時代、楽しいことばかりが続くものと思っていた。


私の影響でバイクに乗り始めた友人が、その若い命を昇華させるまでは・・・。


テーマ:バイク - ジャンル:車・バイク

インライン4に魅せられて・・
ヤマハトレール360RT-1。
初めて所有したバイクであり、ライディングの基本を学ばせてくれた。
日中はもちろんだが、早朝や深夜でも走る喜びを存分に味わった。

特に、豪雨の中のツーリングは今でも忘れない。叩きつける雨で路面が真っ白になっていた。
あの時のエンジンの鼓動の頼もしさは、はっきりと覚えている。

ある時、教習所で一緒だった無口な男が、バイク屋でアルバイトをしていた私を訪ねて来た。
この店でホンダCB750Four を購入したいと言う。
勤め先の寮から40キロ以上も離れている私のいる店に、わざわざバイクを買いに来てくれたのだ。

教習所では2~3度話をしただけだったが、同年代ということもあり、親近感を持ってくれていたようだ。
私が感激したのは言うまでも無い。

店に届いた「赤いナナハン」は、そりゃあもう眩しかった。エンジン音にシビれた・・。

cb750k0



彼が受け取りに来るまで、誰にも跨ることを許さなかった。それが彼に対する仁義と思ったからだ。
幼かったかな? でも、男のコってそんなもんだよね。

一緒によくツーリングした。未舗装路では私が彼に合わせたスピードで、舗装道路では彼が私に合わせ・・。
ツーリング仲間みんながこの走り方を徹底していた。
仲間の顔ぶれは高校生・高校の夜学生・同年代の働いている者達だった。

集まればいつも即席試乗会となるのだが、CB750だけは数人しか試乗する者がいなかった。
私はどんどん「ナナハン」の魅力に引き込まれて行った。

ライディングとともに、それぞれの車種の特性も学んだものだ。
当時の中間達のバイクを思い出してみよう。

ホンダドリームCB450・350・CL350

cb450


cb350


cl350



ヤマハトレール250DT-1・AT-1・スポーツ250DS-6・350RX

dt1


at1


ds6

DS6の写真はスクランブラータイプのもの。

350rx



スズキハスラーTS250・90

ts250


ts90



カワサキ250TRバイソン・350ビッグホーン

250tr


350tr



大体こんなものだったかな・・?
今みたいに細かくジャンル分けされていなかった時代だから、オフロード・ロードスポーツに、その中間的性格のスクランブラーと呼ばれるぐらいの分類であった。

今はオフロードもモトクロスやエンデューロ・トレッキング・ロングツーリング用にと細分化し、大まかに「デュアルパーパス(二つの目的)」などと呼ばれるようだが、トラッカーやモタードなどの派生種も存在する。

ロードスポーツでは、レーサーレプリカが大排気量のスーパースポーツへと発展し、他にネイキッド・アメリカン・古きよき時代のバイクをモチーフにしたレトロ調のモデル、ネイキッドを直列4気筒に限定すれば、それとは別に直列2気筒やV型2気筒のツインと呼ばれる車種も。

さらにはスクーターや大排気量のツアラー、原付など・・。
これだけ細分化されてもまだ、どのジャンルにも属さないような車種が存在するのだからすごい。

バイクの多様化もここに極まれリという感じだが、この多様化がさらに進むのか、或いは排ガス規制の影響で淘汰されて行くのか・・・。

心配なのは、日本のバイクメーカーが縮小の一歩を辿る国内シェアに見切りを付け、海外での生産・販売に切り替え、欲しいバイクは中古車か輸入車・・なんてことにならないか、ということ。


専門家でもなく、永らくバイクから離れていた身なので、情報に誤りがあるかも知れないが、それでもバイクのことを考えていると、楽しい。

医者の話でも、楽しい気分でいる時間が体に良いらしいから、これでいいのだ。















何故バイクに乗りたいと思うようになったのか?
数年前からあるMLを主催している。
加入していたネットビジネスのMLで知り合い、親しくなった連中が集ったものだ。

そのビジネスがお釈迦になり、たま~にしか投稿が無いのだが、だらだらと続いている。

このMLでは自分の全てをさらけ出している。もちろん病気のことも。
自分が一番素直になれるネット上の空間とでも言おうか・・。

共に主催している人物は、いつも私を元気付けてくれる。
「いつか彼に会いたい・・。」という思いも、気力発揚に寄与しているはずだ。
入退院を繰り返しているさ中、彼との交流を求めてメールや電話のやり取りをした。
自分が最も慕う人物の言葉は、どんな良薬にも勝るというものだ。

そして、さりげなく暖かい励ましを投げかけてくれる、MLの中間達・・。
「近くの身内より遠くの他人」とはよく言ったものだ。


彼らとのやり取りのおかげで気分が良くなり、PCの前に座り続けてネットサーフィン・・・。
その中で、病気を克服してバイクに乗るようになった方のブログに出会ったのが始まりだった。


「もう一度バイクに乗りたい・・。」という思いは日に日に強くなり、ブログ開設に至った。


果たしてそれが実現するか、その前に力尽きるのか・・?
健康な人にとっては何でもないことが、今の自分には遠い道のりだ・・。
第一、バイクを手に入れること自体も大きな壁だ。働けないんだから。


しかし、折角だから目標は高い所に置きたい。
バイクに乗って彼らに会いに行く! ぐらいにはね。




テーマ:バイク - ジャンル:車・バイク

バイクショップが少なくなった・・。
ここ数年の間にいつも通る道沿いのバイク屋が3件無くなった。
あのレ○ドバロ○ンが店舗を構え、新車・中古車を大量に展示している。
電話1本で自宅まで来る買取業者がテレビCMを流している時代、町のバイク屋は成り立たなく
なってしまったのだろうか・・?

バイク屋のオヤジに頼んで安い中古バイクを探してもらうことは出来なくなった。
ネットで検索してみても、以前自分が乗っていたバイクが10数年後の今でも20万円以上の
値がついている。通販で買えるが、諸費用と輸送費でさらに10万円ほどプラスになる。

気軽にバイクが買えないとなると、市場がどんどん小さくなるんじゃないのか・・?


最初に乗ったバイクは、ヤマハトレール360RT-1だった。

rt1a


当時は250DT-1が大ヒットし、町中に溢れていた。
DT-1がズラッと並ぶ駐車場にRT-1で乗りつけると、注目度が高く誇らしくもあった。

rt1b



道路の舗装化が今ほど進んでない時代だったから、オフロード・ツーリングが普通だった。
オフロード・バイクが爆発的に増える、少し前の時代だった・・。





雷雨の夜。
数日前の夜だったが・・・

ピカッと光る度にテレビの画像が乱れ、そのあとでゴロゴロドーン!と・・。
こういう時は体調が悪い。気圧の変動に影響されるようだ。

家族は私の体調の変化で天候の変化を予測する。
天気予報より当たるのだと言う。

翌日、雨は上がったが風が強い。
こんな日は外に出られない。恨めしそうに外を眺めるだけ・・。

でも、外の犬たちの様子を見ていると、心が和む。
犬ってすごいな。存在するだけで人を癒すなんて。
もっとも、人の好みはそれぞれだから犬に限らずだけど・・。

最近は生き物たちの姿が愛しく思える。
風景などもそうだ。病気をしてから特に感じるようになった。
田舎に住む自分が何だかとても贅沢な場所にいるように思える。

田舎だから、この辺は林道が豊富だ。
林道をバイクでトコトコと・・。良いなぁ・・。
いかにもリハビリに良さそうだ。

バイクを手に入れるならオフ車が良い。それも足つきの良い4ストの。
近くに高速道路なんて無いから、高速性能は求めない。
飛ばせば緊張するし、心臓に負担がかかるから。

昔は4スト車(ホンダXLR250R)を買い、パワーに物足り無さを感じて
2~3ヶ月で2スト車(ホンダCRM250R)に乗り換えたのだが、
今なら低速トルクの厚い4スト車の良さが理解出来る。(と思う・・。)


最近のバイク事情をいろいろと調べてみよう・・。


テーマ:楽しく生きる - ジャンル:ライフ

たまにはボヤきたくなるので・・・。
ブログを開設してみました。
ここなら多少ボヤいても他人に迷惑がかからない・・?から。

思えば3年前、脳内出血で左半身が動かなくなり、リハビリによってある程度は回復したが、
細かい動きや素早い動きは出来ない。
小泉政権になって以降、回復の度合いにかかわらず3ヶ月でリハビリ治療は打ち切られる。
これから・・という時に、「規則ですから。」と、通院によるリハビリは終わってしまった。

それでも不安定ながら歩くことは出来るようになったので、大きく腕を振って散歩をし、
少しずつ体力を回復させようと思っていたのだが・・

昨年10月、突然胸が苦しくなり、しばらく我慢していたがどうにもならず結局救急車で病院に。
119番から病院まで40分以上を要したらしい。

病院到着後すぐにカテーテル治療が始まり、途中2度の心停止を経て何とか生還。
手術の内容は後述するとして、24時間監視の病室に運ばれ、1週間ぐらいは身動き出来ない
状態だった。体中に数種類の点滴やら機械やらがくっついていたからだ。
ベッドの脇にはそれらの他に心臓マッサージの機械も置かれていた。

ともかく生き残ったらしいが、それ以上何も考えられない状態が続いた・・・。




テーマ:楽しく生きる - ジャンル:ライフ





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